「なぜ救えなかったのか」 新聞の社説から。

昨日の新聞の社説に『小6少女自殺』のことが書かれていた。
本来ならこの記事を読んで自分の感想を述べるべきであろうが、そのようなものを書いたところで大切なことを伝えることはできるわけもなく、新聞社には申し訳ないが、社説をそのままここに載せることで、読んでくださった方にいろいろな事を考えていただければと思い、打ち込むことにした。

答えは1つではないのだから。


『なぜ救えなかったのか』

同級生から無視され給食を一人で食べていた。「くさい」「近寄るな」といった心ない言葉も投げかけられていたという。「やっぱり『友達』っていいな!」という描きかけの漫画を残し、自ら命を絶った。群馬県桐生市の小学校6年生の少女である。

SOSはあった。本人のいじめの訴えを受け、両親が学校に何度も相談していた。学校側も少女の孤立に気づいていた。なぜ救うことができなかったのか。

学校側は当初、「いじめは把握していない」と説明した。その後の調査で「いじめはあった」と転じたものの、自殺との因果関係は認めない。事の重大さから目を背けているように見える。

市長が市の教育委員会に調査の続行を指示した。もっともである。子供たちの間で何が起きていたのか。徹底した調査から事実を明らかにすることだ。少女へのせめてもの償いであり、再発防止につなげるためにも欠かせない。

両親によると、いじめは5年生の時に始まった。フィリピン人に母親のことを同級生にからかわれたという。外国人に対する子供たちのまなざしが気にかかる。この時点で学校側は踏み込んだ指導ができていただろうか。

いじめの背景に「学級崩壊」があることにも注意が要る。市教委によると、学級は6年生になってから落ち着きがなくなり、給食の時間も「仲良し」同士が勝手に集まるようになっていた。

こうした情報は教員の間では共有されていたのか。担任をサポートする体制は十分だったのか。学級崩壊に気をとられ、少女の苦しみをくみとりきれていなかった面がないか。丁寧な検証が要る。

再発防止策は簡単ではない。いじめが起きたときは、加害者と被害者のほか、傍観者の存在も見過ごせない。今回も自分が標的にされないよう、見て見ぬふりをしていた児童がいたかもしれない。

さらに複雑なのが、多くの子は状況次第で加害者にも被害者にもなることだ。首都圏の小中学生を対象にした国立教育政策研究所の調査では、8割以上がいじめの被害、加害をともに経験している。

いじめた側を罰するだけでは、解決は難しい。どうしたらいじめを止められるのか。教師も親も事実と向き合い、粘り強く対策を話し合うほかない。地域も連携のあり方が問われている。

桐生市教委は、調査結果をできる限り公表してもらいたい。二度と繰り返さないために。若い教訓が広く共有されるべきだ。

信濃毎日新聞 2010.11.14 社説より


人生は楽しくあるべき、人生は楽しむべきもの。

そのための負のベクトルは自分自身に向けるものであって、他人に向けるものではない。

俺は、そう思う。

         
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